令和国際大学

グローバルビジネス学科コミュニケーションデザイン学部

2019-05-28 プログラミング初心者がプログラミング初心者に捧ぐベストプラクティス

  1. オンライン学習サイトを活用せよ
  2. 質問できるタイプのオンライン学習サイトのほうがいい(ドットインストール等)
  3. ググっても大してわからんことが多いのでわからん部分について考え詰めるほうがいい
    ・初心者向けと書きつつもズブの初心者向けには書かれていない
    ・それぞれの学習サイトのコンテクストにあった解説ではないので普通に未習内容の知識とかも盛り込んでくるので混乱する
  4. どうしてもわからん場合は2で質問して次に行こう
  5. 稀に4で質問文をまとめてるうちにわかることがあるのでそれに賭けてもよい

2019-05-23 Googleがウェブの未来を主導するのはあまり歓迎していない

どのページに行っても謎のパンくずリストがある。フッター近辺に行くといきなりサイト全体を開設するテキストが網掛けで挿入されている。どこで読んでも大差無いようなどうでもいい一般的な読み物を穴埋めのために大量に仕込んであり、そのコンテンツ内には数行毎にクソほどどうでもいい見出しがついている。

これらの施策は全て、Googleいわく「ユーザーファースト」であるとされており、これらが全ててんこ盛りの、異様にゴチャついた、まるでスーパーの特売セールチラシのような「優良な」WEBサイトが濫造されている。これらはすぐさま「ベストプラクティス」として拡散されるのみならず、その「ベストプラクティス」を導入するために数千万円単位のお金を費やす企業も少なくない。Googleが気にかけるWEBサイトのリーダビリティといえば、隠しリンクが無いか、実態のないキーワード検索用羅列等が無いか、といった程度でしかない。実際にそのサイトが「情報が整理されており」「読みやすく」「マルチデバイスで崩れることなく表示され」「必要なコンテンツをスムーズに見つけることが出来る」といった点に関しては一切の知見を持ち合わせていないように見受けられる。

それもそのはず、と思うところがある。Googleの作るサービスといえば、Google検索およびGoogle Mapは非常にスムースに体験を享受することができるが、それ以外のサービスに関しての操作感はハッキリ言って理解不能な水準だ。不要な混乱か、もしくはユーザーに高度な習熟を招くようなサービスばかりで、何ら直感的ではない。それが最も顕著だと思うのがAndroid OSだ。体験の根本的なクオリティもさることながら、ベンダーにカスタマイズを奨励することで体験全体のクオリティ・コントロールは実質的に破綻している。自然選択によって最もユーザビリティに長けたカスタマイズがシェアを得る、という目論見なのかもしれないが、残念ながら、歴史において自由競争によって理想状態が実現した例は驚くべきほどに少ない。

まあそれでも、Andoroidに関しては、最悪の場合は自分がAndroidユーザーにならなければ済むだけの話だ。最近のiOSに言いたいことが無いわけではないが、上述のような世界線に放り込まれるぐらいなら簡単に飲み込める程度の不平しか持っていない。問題は、先述の通りWEB全体をGoogleが実質的に主導しているという点だ。WEBは公共財であり、単なるOSの選択とはまるで違う話である。公共空間をデザインし、リードしていくような知見を彼らは持ち合わせていない。たった一つベンチを設置するだけでコミュニケーションが発生する、というように、公共空間とはレイアウトし、デザインされることによって最適化されるのだ。動線を作る。コミュニケーションが発生する仕組みを作る。阻害する要員を排除する。公共空間のデザインにおいてはやるべきことは非常に多い。その中で、彼らはひたすら「看板を増やせ」というようなことしか言わないし、それに従ったものに庇護を与える。GAFAの中でもっともオープンだと捉える向きもあるが、それは彼らがエントロピーのコントロールといった発想をてんで持ち合わせていないという意味でのみ真である。そんな彼らに、WEBという公共空間をリードしていけるとはとてもではないが思えないのである。

2019-05-21 絶望を見ながらナポリタンを食べた。

昼前起きて行ったことのない近所の喫茶店ナポリタンを食べる。そこそこ有名店らしく、知人が日本一美味いとまで言っていたので期待していたのだが、体験としては普通だった。喫茶店で食べるナポリタンは大きく分けて2つの流派があり、喫茶店ナポと家ナポに分かれる。行った店は明らかに家ナポの流派であった。要するに実家で出されるナポリタンの味だ。ご主人が描いたであろう絵画が飾られており、そこにはDisapper(絶望)というタイトルが振られていて、私達は絶望を見ながらナポリタンを食べた。今思えば絶望に見られていたような気もしてくる。量は喫茶店水準で非常に多かった。

そのあと駅前まで歩いてカラオケに行った。ユニコーンなんかを歌った。歌がうまくなったんじゃないの、と言われたけど自分としては全体的にハマってる感が無くてモヤモヤしていて、歌というのは相変わらずよくわからないものだなと感じた。スマートフォンのアプリケーションを使うと歌詞が出てくる背景に自分の好きな写真を表示できるというので、うちの猫の写真を見ながらカラオケをした。スライドショーも出来て、飼い猫の写真を次から次へと表示させることが出来て、最初は愉快だったのだが、段々と亡くなってしまったあとに思い出を見返すような趣きが出てきて切なくなってやめてしまった。その場にいない存在のスライドショーを見ていると、不在をかえって強く感じさせる効果があるのではないかと思った。

そのあと場所を移して渋谷のビックカメラに行く。最近は猫の嘔吐の回数が増えているので、床に落ちているホコリや毛、微細な食べ滓などに対して神経質になっており、その対策としてロボット掃除機の導入を検討していた。そして、その検討段階として、ルンバのレンタルというものを行い、部屋がきれいになることはもちろん、猫がビビってしまわないかなどの検証を行い、期待された成果が得られたため、実機の購入に至ったのである。5万円ほどするモデルを購入したのだが、何やかんや色々な余剰資本を投入することで実質的に3万円程度で購入することができた。応対してくれた店員さんが19時までしかフロアにいないということで急ぎ購入し、取り置きをお願いしておいた。

そのままヒューマントラストシネマで「アメリカン・アニマルズ」という映画を見た。話題になっている作品だし、ポスターのビジュアライゼーションも見事で、非常に楽しみにしていたのだが、あんまりしっくり来なかった。劇中には沢山の絵画が出てきたのだが、言うまでもなく「絶望」は出てこなかった。それに一番近いものといえば、映画が始まる前の宣伝でラース・フォン・トリアーの新作の予告が流れていたのだが、それが一番絶望っぽい感じだった。ただ、同行者がすごく気に入っていてパンフレットで買っていたので良かったと思う。思えば、この人がパンフレットを買うまでに感銘を受ける映画に僕がハマることはあまりない。バードマンやマッドマックスもパンフレットを買っていたが、自分はふ〜んという感じだった。

アメリカン・アニマルズを見て僕が感じていたのは、プロジェクト全てをデザインしきるのがいかに難しいかということであった。UXリサーチについて学んでいる最中ではあるが、そういった文脈から見たときにもそりゃそうなるよというところが多数存在する。言ってみればマジレスおじさん的な態度で見ていたことになるのだが、それはおいてといても、特に感情的側面に関するデザインが弱い。体験の核となるのはやはり感情であり、頭でっかちに考えるとそれを過小評価してしまうものなのだなあという学びがあった。あと、リサーチとテストね。その検証の中でそういったペインポイントを予め抽出しておくべきだった。ただ、ここにマジレスしても仕方のない映画だし、そもそもそこを楽しむ映画なのではないのだが、どうしても気になってモヤモヤしてしまった。

そのあと、ルンバをピックアップして帰った。帰宅後、ルンバのセットアップをしながら、Amazon Primeで2006年のテレビドラマ「結婚できない男」を見ていた。出てくる人間全員がめちゃくちゃナチュラルに煽り合いをしている。かくいう私もナチュラルに皮肉を言う人間なので、笑えつつも反省したりして楽しく過ごした。

2019-05-20 実はキャリアの岐路にあるルロイ・サネ

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2018-2019シーズンのルロイ・サネの成績は14ゴール10アシスト。23歳という年齢、更には彼がマンチェスター・シティというビッグクラブにいることを考えても、これは誇るべき数字だと多くの人が思うだろうし、事実、残した数字だけを見れば十分に立派である。しかし、サネ本人にとっても、シチズンズ(マンチェスター・シティのサポーターの愛称)にとっても、今シーズンのサネのパフォーマンスは十分であったとは考えにくいのが正直なところではないだろうか。

2017-2018シーズンのサネは圧倒的だった。長距離のスプリントであればアーセナルオーバメヤンに勝るとも劣らない光のようなスピードに加えて、更に彼にはシュートセンスまでもある。昨年の彼は若干22歳にして世界最高のウインガーの一人にまでなった。そんな順風満帆だった彼のレギュラーを脅かしたのは、なんと当初はインサイドハーフのバックアップとして考えられていたベルナルド・シウバである。シティに加入してから2シーズン目になったこの小さなポルトガル人は、加入当初はレギュラーを掴みきれず、半ばデ・ブライネのバックアッパーのような立場に甘んじていた。それもそのはず、昨シーズン、フェルナンジーニョと並んでデ・ブライネに掛かる戦術的比重は非常に大きく、千里眼のような視野、矢のようなキラーパス、そして膠着状態を一瞬で打開するミドルシュート、更には状況次第ではウィンガーとしても振る舞えるユーティリティ性などで八面六臂の活躍。昨年のシティは、まさに「デ・ブライネのチーム」であった。そんなデ・ブライネが、今シーズン当初、怪我で欠場を増やしていたが、そのポジションを埋める形でレギュラーに収まっていったのがベルナルドである。前述のように、昨シーズンのデ・ブライネはどのチームも欲しがるクラスの選手だっただけに、彼の不在を心配するファンは少なくはなかったが、次第にインサイドハーフとしてフィットし、デ・ブライネとはまた別の脅威を相手チームに与えるようになっていった。

しかし、それだけで終わらなかったのがベルナルド・シウバの恐ろしいところだった。インサイドハーフとして出色のパフォーマンスを続けるだけでなく、更に持ち前の適応能力で進化を重ね、当初は試験的に運用されたであろうウイングのポジションでも素晴らしいパフォーマンスを重ねていったのである。ペップは傍目には突発的にしか見えないこの手のマルチロールテストを好むが、そんな中でもベルナルドは易々と合格点を挙げてみせたのだ。インサイドハーフとしてもウイングとしてもかなりの高水準のパフォーマンスを見せられるのは往時のイニエスタを彷彿とさせるが、ベルナルドはイニエスタよりも更にアグレッシブにプレーする。1.5倍速でプレーし、僅かな隙間を見つけるとアジリティーを生かして侵入、そしてコースが空けば左足を鋭く振り抜いてシュートを突き刺して、更にはネガティブ・トランジションにおいては即座にファーストディフェンダーとして獰猛に相手に食らいつく。加えて、状況を見てインサイドハーフの選手とポジションチェンジをしたり、下がっていってビルドアップの手助けをしたりまでも出来る。あらゆる局面においてここまでスペシャルな選手へとベルナルドが進化し、更にはチームの戦術的行動をもう一段進化させたことは、クラブにとっては嬉しい誤算であった。ただ、その誤算を手放しで歓迎できない唯一の選手がルロイ・サネだっただろう。彼はシーズン開始時にはインサイドハーフの控えだった選手に、自分のポジションであるウイングを奪われたままシーズンを過ごすことになったのだ。しかも、ベルナルドによって、求められる戦術理解度が一段と深まってしまった。サネにとってはより難しい状況となったのである。

更に、追い打ちをかけるように、サネの序列は、当初のベルナルドと同じようにチームにフィットしきれていなかったウィンガー・マフレズよりも下となりつつあることまでもが明らかになった。それを象徴的に示したのが勝ち点98を記録し、優勝を決定させた最終節である。この試合、ベルナルドがインサイドハーフとして先発出場したにもかかわらず、右ウイングの先発にはサネではなくマフレズの名前があった。同じく先発しながらもトッテナムとのCL第1戦で何の活躍も出来ず、CL敗退への遠因となってしまったことからも期するものがあったのだろうマフレズは、この試合では别人のように躍動。素晴らしい状況判断を重ねてゲームにうまく入って関与し続けるに飽き足らず、なんと優勝を決定づけるアシストとゴールまでも決めてしまった。短期間で自分に足りないものを理解し修正したマフレズが躍動してチームを優勝に導いたこの光景を、サネは一体どんな心境でベンチから見守っていたのだろうか。

また、今シーズン進歩を重ねていたのはマフレズやベルナルドだけではない。逆サイドを見れば、昨シーズンは不動の両翼としてコンビを組んだ左ウイングのスターリングもまた、さらなる進歩を重ねていた。シティの選手の中で数少ないペップからの「裁量」を与えられるまでに至った彼は、PFA年間若手最優秀選手賞を受賞するにまでに成長。奇しくも、下記のような記事が日本国内でもこの記事と同じタイミングでリリースされているように、スターリングはもはや「別格」とでも言うべき領域に達してしまっていた。

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この記事は、こんな一文で締めくくられている。

スターリングはゲームモデルを把握し、求められている役割に完璧に適合している。だからこそ、彼は限られた思考のリソースを「細部の向上」に割くことができる。進化の過程にある24歳は「グアルディオラの哲学を体現するアタッカー」として、さらなる高みへと挑む。

スターリングもベルナルドも、トラディショナルな価値観で捉えた「サッカー選手」として優れているだけでなく、「戦術理解と状況判断にも優れたモダン・フットボールの化け物」でもある。そんな化け物たる彼らと比べた時に、何とか食らいついていける可能性を最後に示したマフレズとは対照的に、サネは残念ながら一段落ちる言わざるを得ない。確かに、得意な形にハマッた時の破壊力は世界的に見てもトップオブトップであることは疑いようがないのだが、問題はその得意な形以外でのパフォーマンスである。チームの置かれている状況を理解し、継続的に相手の脅威となり続ける自律的な選手たること。これこそがいかなるポジションにおいてもシティの選手に求められていることであり、またペップが最も求め続けていることでもあるが、サネはそんなシティの選手たちの自律分散的な状況判断のネットワークの埒外にいることが非常に多かった。有りていに言えば、「ゲームに入れてない」ことが多かったとも言えよう。また、同じくフィットしていなかった感の否めなかったマフレズが、最終節には主役となって来シーズンに期待を抱かせるほどの進化を短期間に遂げたのに対し、サネは最後まで同じだった。状況を限定すればスペシャルだが、そうではない状況では簡単にゲームから消え去ってしまう。ペップからすれば、何度同じミスを重ねるのだろうという気にもなるであろう。ベルナルドやマフレズが示したような進化を、サネだけはまだ掴みきれないままでいる。

だからこそ、と言うべきか、サネはたまに先発のチャンスを掴んでも前半だけで変えられてしまったり、チャンピオンズリーグやプレミアビッグ4との対戦等のビッグゲームでもベンチを温めることが多くなった。そんな中でも、唯一スーパーサブとして重宝されたのもまた偶然ではない。この起用法は、ゲームのコンテクストを無視して(あるいは極度に単純化して)ストロングポイントだけで勝負できる起用法である。どうしても得点が欲しいゲームで、かつ展開がオープンになりつつあるのであれば、彼の強みは十二分に発揮できる。それを見事に示したのが、CLでの奇しくも古巣であるシャルケとの1stレグであった。だが、スーパーサブではなく、もう少し長い時間で使おうとすれば、コンテクストを共有し、誘導し、そして破壊する判断力が求められるのがシティのフットボールである。そう考えれば、彼の立場や限定的な起用法は必然であり、単なる理不尽な不遇ではないことがわかってくるだろう。

幸か不幸か、サネへの興味が伝えられるバイエルン・ミュンヘンのように、ウィンガーにはシンプルに「ワイドアタッカー」としての能力を第一の要求とするチームは今なお少なからず存在する。恐らく、そういったところに行けばサネは必ずや結果を残し続けるだろう。だが、同時にそこで彼は「非常に優れたウィンガー」として以上の地位を手に入れられることは決して無くなってしまうということでもある。そう考えれば、今彼の眼前に広がっている選択肢は、実は彼自身のフットボーラーとしての限界を決めうる選択でもある。昨シーズンのデ・ブライネや今シーズンのスターリング とベルナルド・シウバのような「異次元レベルのアタッカー」になるのか、はたまた世界を制したバイエルンの両翼”ロベリー”のような「非常に優れたウィンガー」となるのか・・・。そのどちらの「コンテクスト」を彼が選ぶのかを、ルロイ・サネの尋常ならざる輝きを知る者として、心から注目し続けていきたい。