令和国際大学

グローバルビジネス学科コミュニケーションデザイン学部

2019-05-02 即位の日の街頭インタビューで「シラけつつノる」の最も正しい手本を見た

「ノリつつシラけ、シラけつつノる」とは浅田彰が2、30年ぐらいに定式化?したワーディングであり、内容としてはまあ文字通りの意味合いで、これが良くも悪くも現代人に求められるスタイルである的な話をしていたわけだが、これは、敢えて流行の図式に則るなら、非常に平成的な振る舞いだったのではないかと私は思っている。

そしてその「シラけつつノる」の最も正しい、つまりこの文脈で言うならば最も平成的とも言えよう振る舞いを、先程(この記事を書いている5/1午前)テレビで放送された銀座での街頭インタビュー内で見た。

えー、別に今日じゃなくても良かったんですけどぉ、なんかやってるので来てみたら色々もらえたんでぇ、めでたいなぁって感じです。

注目したいのは、答えていたのが40〜50代の女性2人組だったという点である。おそらく、もう少し世代的に下の、いわば後期平成世代はもっとストレートに「ノる」ように思う。これは、実は、平成の盛りにはしっかりと自我を確立していたであろう世代、初期平成世代とでも言うべき世代に特有の振る舞いである。

こいつらがめんどくせえのが、結論としては「しっかりノってる」くせに、導入の時点では「私は白けてまっせ、冷静なんでっせ」の「シラけ」ポーズをしっかり示しているところだ。はっきり言ってクソほどダサい。それなら最初っからノリノリのほうがわかりよい。昨日のエントリからもお分かりの通り私はアンチエンペラーであるが、「乗るしかない、このビッグウェーブに」ぐらい浮かれているほうが、まだ見ていてスカッとはするし、私の立場から見て「分かり合えない人」としての距離が確定することで、そういう人として対話が可能になる。その辺りのことを考えると「ノリつつシラケる」人々との対話は非常に面倒くさい。こいつまた例のやつやってんな〜と思いながらやり過ごしつつ、本心がどこにあるか探りを入れていく必要があるからだ。

だが、そうやって探りを入れたとて。実際には彼らに「本心」と言うべきものなど存在しない。その曖昧で煮え切らない態度の核心にあるのは虚無である。定見の無い風見鶏、いわゆる「キョロ充」と呼ばれる人々として我々の世代では侮蔑の対象となる人々であることがとっくにバレているのである。そう考えると、彼らが意思決定世代として、超高齢化社会時代精神に対して「シラけつつノる」であろうこの令和なる時代に、残念ながら明るい前途を私は見出すことが出来そうにない。