令和国際大学

グローバルビジネス学科コミュニケーションデザイン学部

2019-05-19 寝ることについて

とにかく時間がない。興味の赴くままに生きているとやりたいこと、やるべきことが山積してきて1日のスピードがヤバい。やりたくないことがこの中に含まれていると一気に心的ストレスが増えて一気に失調するタイプだが、他方でやりたいことは無限にやってられる体質で、しかも最近は睡眠をガンガン削っても休日にクソ程寝ればスッキリするという特異体質に目覚めつつもある。

1日8時間以上寝ましょう、そうすれば頭がクリアになりますみたいな話があるけど、冷静に考えると一日の3分の1も寝てるの勿体無いと感じるようになってきた。人生が81年だとすればそのうち27年間も寝てたことになる。怖くない?人生のうち27年間寝てました、というと寝たきりだったのかな?とすら思えてくる。まあ、仮に睡眠時間を4時間まで圧縮したところで20年程度は寝てたことになるので、そういった意味では大差ないのだが。それでも7年間もの差が出る。7年といえば新生児が小学校に入り、中学生が成人する。

睡眠時間を削っていく、というのは要するに命の前借りに等しい、みたいな議論も耳にしたことがあるが、それは全然構わないというか、極端な人間なので、そういう寿命みたいなの気にするなら、どっか東南アジアとかにでも行って無為徒食でノンストレスの生活を過ごせばええんちゃうんかとか思う。もしこれらがトレードオフなのだとすれば、ダラダラ長生きするより、やりたいことをやり続けて早逝したほうがよっぽどいいと考えている。ヤケクソで生きてきたがいまさらそれを変えようとも微塵も思わないし、その妨げになるものは、たとえそれが社会的に正しいとされることでも拒んでいく。

2019-05-17「UXリサーチの道具箱」読んだ

これまでのあらすじ

UX・UIデザイナーとしてあるプロジェクトに参加した私だったが、UXデザインについて学べば学ぶほどにリサーチのことを何も知らないことを痛感する日々であった。

UXリサーチの道具箱 ―イノベーションのための質的調査・分析―

UXリサーチの道具箱 ―イノベーションのための質的調査・分析―

 

 UXデザインはリサーチと不即不離である

それは「Lean UX」読んでた時もそうなんだろうなと思ってたし、「道具箱」を読んでも、またそこから派生して「ジョブ理論」(後述)を読んでいる今でも感じている。以下の引用はいずれも「道具箱」より。

本書の主張をひと言でいえば「製品開発はユーザ調査から始めよう!」です。

「何をすれば“調査”したと言えるのか?」――。この不安に苛まれるのは、あなただけではありません。かのジェフ・パットン(『ユーザーストーリーマッピング』の著者)もその 1人だったようですが、彼はこう述べています。 「以前、私は『リサーチ』という言葉に囚われすぎていた。それはとても科学的な響きを持っているが、私は科学者ではないからだ。後になってやっと、ユーザと普通に話をしたり、彼らの作業の様子を見たりすることが『リサーチ』と言えるのだとわかった。もちろんもっと厳密な方法はあるが、最低限、ユーザを自分の目で直接観察すれば、それで良いのだ。」

私たちが聞くべきなのはユーザの「声」ではなくて「体験」です。まだ加工されていない“生”の体験談を入手して、それを私たちが分析すれば、ユーザ本人でさえ気付いていない“暗黙”のニーズまで把握することができるでしょう。そして、そこから(素人の)ユーザでは想像もつかないような解決案を提案してこそ「プロフェッショナル」といえるのです。

「何が欲しいか」は知らないが、「何に困ってるか」は知れる

マーケティングイノベーションみたいなことについて述べている議論で、よく挙がるのが「自動車王」フォード(が言ったとされる)下記の発言である。

もし顧客に、彼らの望むものを聞いていたら、彼らは『もっと速い馬が欲しい』と答えていただろう。

これはユーザーの声をダイレクトにプロダクトに反映することの愚かさについて言及している例や、はたまたユーザーは自分自身の課題について正確な見識を持ち合わせていないことの例として挙げられる。要は、ユーザーは自分が何が欲しいかを知らないということだ。それはかなりの程度そうだと言える。が、だからといってユーザーリサーチは無力なのか?と言うと、決してそうではない。確かに、ユーザーリサーチでは「何が欲しいか」というレイヤーで聞くと不正確かもしれない。ただ、「何に困っているのか?」というのは、聞き方次第で出てくる。そしてそのソリューションは、まずは自分たちで考えるのだ。たとえば、上述の車と速い馬の例で言えば、「何が欲しいか?」と聞かれればそれは「もっと速い馬」と答えるだろう。しかし、何に困っている?と聞けば、「うちの馬が遅いこと」という回答は十分ありうる。そこで、「じゃあ何らかのツールを使って〈遅い〉の部分を解決することができればイノベーションなのではないか?」と考えることが出来るだろう。これはまんま、Uberイノベーションを起こした構図と同じである。「もっと速く捕まって正確な道筋と金額で運んでくれるタクシーが欲しい」という声を聞いて、「タクシー」以外のツールで解決できればいいのでは、と考えたのがUberだ。

ジョブ理論によるリサーチの深化

「人はドリルが欲しいのではない。穴を開けたいのだ。」

この引用文が用いる構造に則れば、先程の車にせよタクシーにせよ、「人は馬が/タクシーがほしいのではない。速く確実に目的地にたどり着きたいのだ」ということになる。この「〜したいのだ」に当てはまるものを探ろうというのが「ジョブ理論」であり、このジョブをユーザーリサーチやインタビューを用いて特定することから始めればイノベーションにぐっと近づく。フォードにしてもUber創業者の二人にしても、この「移動に関するジョブ」を起点に考えることが出来たため、既存のソリューションに惑わされずプロダクトを世に放つことができた。

残念ながら、この非常に魅了的な「ジョブ理論」に関しては、「道具箱」ではそこまで深掘りされているわけではない。UXリサーチのためには、他にも紹介すべきツールやプロセス、フレームワークが多数存在するからであり、それはそれとして非常に意義深いものとなっている。だが、この「ジョブ理論」を大骨格としてリサーチを進めていくべきだという天啓に基づき、下記の原典にあたっている、というのが現状である。

ジョブ理論 イノベーションを予測可能にする消費のメカニズム (ビジネスリーダー1万人が選ぶベストビジネス書トップポイント大賞第2位!  ハーパーコリンズ・ノンフィクション)

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2019-05-16 2年ごとにiPhone買い換えてたけど今年は良さそう

理由

  • リリース間もなく手に入れたiPhone Xだが2年近く経って未だに満足している
  • あと高かったし
  • 特に動作上の不満もない、初期ロットなのに当たり引いたっぽい
  • 強いて嫌なところを挙げるとフロントのノッチと背部の出っ張ってるカメラなんだけど、XIのカメラはトリプルになって更に出っ張り面積が増えてるっぽいし、その次のも同じような仕様なら堪忍するけど、進んで受容したい変化ではない
  • 最近気付いたんだけど側面の仕上げが私が敬愛してやまないiPod classicと同じなので改めて好きになったというのもある

2019-05-15 私の好きな画力(えぢから)映画5選

ところで私は映画も好きなので映画の話もします。

 

画力(えぢから)とは何か

「画力(えぢから)」とはストーリーやプロットとは別にヴィジュアルとしてのカットの美しさの破壊力を表す単位で、往々にして言語的な情報やコンテクストを超越するパワーがある。緻密なヒューマンドラマも好きだけれど、他方でやっぱ画力(えぢから)ってつえーなーと思うことも多く、今回はそんな画力(えぢから)のパワーが凄まじい映画をいくつか紹介したい。

 

画力(えぢから)映画を楽しむために

スマホで見るな。デカい画面で見ろ。クソイヤホンじゃ音の作り込みが拾えないように、小さい画面では画力のバイオレンスは縮減してしまう。画面はデカければデカいほど良い。18インチの4Kテレビで見るぐらいなら、デカいシャープの中古テレビのほうが絶対良い。ある意味画力(えぢから)とは画面のデカさでどれだけ映えるかという単位でもある。

 

01.シャイニング

シャイニング (字幕版)
 

画力(えぢから)という言葉を聞いてもピンと来ない方は、シャイニングと聞けば「あーそういうことね」と思っていただけるのではないだろうか。元々はカメラマンということもあってか、画力監督として名高いスタンリー・キューブリックの作品の中でも、とりわけゴリ押し画力を死ぬほど堪能できるのがこの作品。シャイニングといったらコレ!といったビジュアルがいくつも思いつく程に一つ一つのカットの構成力がえげつない。画力が持つ破壊力を熟知し、そのバイオレンスを縦横無尽に使い倒した、まさに元祖・画力による暴力監督の面目躍如というべき一作。

 

02.ガタカ

ガタカ (字幕版)

ガタカ (字幕版)

 

トゥルーマン・ショーの脚本等で名高いアンドリュー・ニコルによる画力SF映画。先述のシャイニングのようにホラー/サスペンス映画が画力バイオレンスと親和性が高いのは言うまでもないが、SFもまた画力と不即不離の関係にある。そんな中でも、VFX(映像効果)ではなく、セットやロケーションによる画力の強さをこれでもかと見せつけてくるのがこの映画だ。ともすればSF映画のヴィジュアルの出来はVFXの出来にそのまま比例するような風潮があるが、この作品はそんなVFXの力に頼るのではなく、あくまでセットと構図のパワーでゴリ押しするという稀有なSF作品となっている。

 

03.インターステラー

キューブリックが旧・画力暴力監督だとすれば、クリストファー・ノーランは新・画力暴力監督だ。特に近年のノーランはもはやストーリーやプロットの出来、メッセージの妥当性などは二の次三の次となり、とにかくカッケー映像を作りたいというマッド画力ディレクターと化しているきらいすらある。多分おかしくなったのはダークナイトライジングのグダグダを経てからのインターステラーの前作・インセプションあたりで、そのインセプションの撮影でガタカのようなセットと構図の美学に加え、VFXによる暴力もてんこ盛りに盛り込み、画力による暴力に目覚めたノーランは、ジャンキーの哀しき習性だろうか、この作品ではそのバイオレンスを更に腹五十分目までぶち込んでくる。また、かつてのノーランと言えばメメント等に代表される時間軸操作の旗手であったが、当然そういった仕掛けも盛り込んでくる。ついでに家族愛のようなものも混ぜ込んでマイルドさを演出しようとするが、一面のニンニクペーストの海に一滴の酢のような存在感しかない。とにかく全体としてトゥーマッチもトゥーマッチ、バランスもヘッタクレも無いSF界のラーメン二郎と化した怪作を世に放つこととなったが、ジャンキーが本気で作ったシャブのような映画を前に中毒者が続出。かくいう私も映画館で4度見ました。有志の映画製作倫理協会員みたいな人らからのマジレスを食らうことも多い本作だが、ジャンキーからすればそんなことは知ったこっちゃない。よくわからんけどとにかく凄かった、そんな画力映画を求めてるなら最初にオススメしたい一作。

 

04.未来を乗り換えた男

未来を乗り換えた男 [DVD]

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シャイニングやインターステラーが「動」の画力だとすれば、まだあまり有名では無いこの作品は「静」の画力を堪能できる作品。とうとうネオナチが権力を得た近未来のドイツ、数多くの伝承が語ってきたような惨劇が再び繰り広げられつつある中で、主人公はどうにか命からがらフランスに逃げ、そこからの亡命を果たそうとするというプロットなのだが、主人公が逃げた先のマルセイユの静かで美しい街並みを寄り引き自由自在で写真のように切り取ったその1カット1カットの美しさは息を飲むほど。その静かな美しさと、社会に巻き起こっている激動の状況との見事なギャップは不思議にSF的でもあり、また、案外こんなものなのかもしれないと現実的なようにも思えてくるから面白い。登場人物の行動選択の不条理さは視聴者によっては受け付けないこともあるようだが、それもまたサルトルの小説のようだと感じられると楽しめる。画力というメインディッシュをしっとりと静かに味わいたい方にオススメしたい一作。

 

05.少年

少年 / ユンボギの日記 [DVD]

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最後は大島渚の1969年の作品、少年。言うまでもなくVFXも無し、それどころか色調整も最低限しか出来なかったであろう時代、構図と画角と尺だけでここまで画力を高められるのだということを嫌というほど教えてくれる一作。ロードムービーという性質上、当時の日本の全国風景をしっかりと写し込んだこの映画は、見ている我々をまるで現代からその時代にタイムスリップしたかのような思いにまでさせてくれるという意味では、SFに勝るとも劣らない誘引力がある。そんな時代を超える画力を可能としているのは、やはり真摯な画作りに他ならないだろう。画が持ちうる力の中でも、普遍性として残り続ける力がある、ということを我々に教えてくれる、寡黙ながらも何よりも雄弁な一作だといえよう。

2019-05-14 ねこの心臓

ねむっているねこの背中に耳をつけると心臓の鼓動が聞こえる。人間のそれよりずっと早い。心臓が鼓動を打てる回数には上限があり、その上限が来た時に心臓が止まってしまうのだとどこかで聞いたことがあるけれど、それが真実なのだとすれば、この子の心臓はもっと随分ゆっくり打って欲しい。

この小さな体の中にもっと小さな心臓があって一生懸命血を巡らせているんだと思うと何だか胸を締め付けられる。こういう時に人は尊いとか言うのかもしれないが、そんな言葉で何かを言い表わせているのは全然思わない。ただその事実だけに収まらない切実な何かがある。この子にしても自分にしても永遠の命などは望みもしないが、それでもこの思いだけはきっと永遠のような気がしている。