令和国際大学

グローバルビジネス学科コミュニケーションデザイン学部

2019-04-16 デフレと支払いたくなさ

チャンアベがデフレ脱却ゥ〜ッ!って半狂乱で叫びながらもそんなことはどこ吹く風で普通にデフレが継続してるの、なんか経済政策だとか産業構造とか人口動態だとか国際競争だとか以前に、そもそも人々にまともに対価を払うという発想がないからのような気がしてきている。特に人々の無形物に対する対価の払いたくなさはすごくて、イラストレイヤーはチョチョっと描くだけなんだから手間賃ぐらいあげときゃいいやと思ってるし、買い切りスマホゲームは楽しかったけど値段が高すぎるぼったくりだとコメントを残し、はたまたセールになったらなったで定価で買った俺らを愚弄していると怒髪天、そんな彼らも職場ではみんなで頑張ってるんだからと残業は当然のことと見なされる。なんかそういうのって価値や体験の提供者が好き好んでやってるねんから大した金なんて払わんでもええねんみたいな謎理屈をよく聞くんですが、それって正当な価値を支払うか否かとは全く別の話やないんすか。たとえばコックさん👨‍🍳にお料理とか好きなんですか?って聞いたら、まあ少なくとも仕事にするぐらいには好きだと答えるとだろう、じゃあそこで好きだからやってるんすよね?ってことはタダでいいっすか?とかいう客は普通に無銭飲食のカドでタイーホな訳だが、不思議とコックさん👨‍🍳にそういう事をヌカす人を見たことがない。しかし提供者がそれを好き好んでやってるからというのが対価を支払わなくていい理由となるのであればコックさん👨‍🍳に向かってそうヌカす奴らがサビ残上等オジサンと同程度に存在しないとおかしい。これに至り、タダメシ食おうとするやつとタダイラストをゲッツしようとする奴らの何が違うのかが考えたのだが、このおかしさの正体、それは多分料理という成果物の工程の見えやすさ、原材料の明確さが大いに寄与してるように思う。プロセスが想像つくから金払わんとといかんなと思ってしまう。思ってしまうっつうかそれがあるべき姿だと思うが。で、この仮説が真だとすれば、工程をオープンにしていくことでかえって対価を得やすくなるというへんな状況になるのであるが、それはある意味正しいのかもしれん。イラストレイヤーがその技術を身につけるプロセスや、その技術によって何かを描いていくプロセスなんて絵心のない我々には想像もつかない。なんとなく思いつくのはいっぱい練習したんだろうなということぐらいで、でも俺は絵の練習とか楽しくなかったけどこいつは何で出来たんだろう、わかったこいつは絵が好きでいっつも書いてて外でドッジボールに参加しなかったあの暗い奴らの成長した姿なんだとピンと来てじゃあ手間賃でいっかとなっているのではないかとかそういう話だとは思うが、要するにプロセスが想像つかなすぎると邪推に継ぐ邪推でこの例のように不当に低く見積もりがちだし、いやいやじつはこれはここに至るまで泥を啜る思いを幾度となく繰り返して参りまして...と説明したらちょっと違うかもしれん。こういう意味で消費者っつうか価値の受取側の共感を得ることでマニーをゲッツしやすくなるみたいなのは確かにマーケティングとかでも聞く話であるが、そんな共感とか抜きにしてそもそもそれが良いなと思ったなら思っただけ対価を支払えよという話ではございませんか?んでもってそうやって支払うべき価値がどの程度のものなのかの審美眼がてんで無いから工数とか原材料とかボリューム感とかそういう目に見える価値に換算するしかなくなるんじゃないですか?つまり、結局は価値に対する関わり方を知らないだけなんじゃない?だからこそ価値を運用していくっていう発想がなくて、運用できないから下がっていく一方、っていうのが我々ニッポソ人のおかれている現状なんじゃないすか?って俺っちは思うんだけど、ユーはどう思う?どうなんですか?How Does It Feel?っていうことを深夜の風呂で書き連ねました。疲れたので寝ます。

英文徹底解読 ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞スピーチ

英文徹底解読 ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞スピーチ