令和国際大学

グローバルビジネス学科コミュニケーションデザイン学部

2019-05-01 改元とかいうシステムにマジレスする

まず初めに、マジレスしてる人を見るのは見苦しい。胸が苦しくなる。大概が無視されているのも切ないが、マジレスされている相手が人格者で、当たり障りのない返事で躱そうとしているのを受けてマジレスマンが意気消沈しているのを見るのもまた切ない。現代の徒然草である。そういうマジレスの悲哀を見ているとなるべく自分はマジレスしたくないなと思う。コミュニケーションの基本は相手の求めていることを言うことであり、あまり自分の言いたいことを言うべきではない。自分の言いたいことは、自分の考えを求められていることが明確な場合のみであり、それ以外はしまっておく方がいい。そういうことがわかる程度には私も大人になりました。

ところがそこまでわかっていながらも私はマジレスというものを行おうとしている。理由としてはいろいろあるが、根本的に私が残念な大人だからである。残念な大人は、自戒めいたことを言いたがる割に、それを守り切ることが出来ない。朝令暮改が得意で、ひどい場合にはそれに気付かないこともある。ちなみに言うと今回で言えば私はギリギリで気付いているのだが、おそらくは日常生活においてはそうじゃない場合も少なからずあるのではないかと思う。その節はご迷惑をおかけしましたが、今後共ともどうぞよろしくお願いいたします。

で、そのマジレスする相手が改元というシステムである。システムにキレてマジレスしている人間というのは傍目から見れば狂人の類かもしれない。そう思うと余計に気が引けてくるが、だからといってこの改元というシステムが所与のものとして受け入れられている状況がめちゃくちゃ気に食わないのだから仕方ない。

何がそんなに気に食わないかと言うと、そもそもの前提として、暦を制定するのは時の最高権力者の、最も強い影響力を示す行為にほかならないわけで、暦=時間に「名前をつける」ということは実質的にその時間の「親」であるっつうことになるわけですな。で、時間を支配するってことはそのまま空間を支配することになります。要するに「朕は時空の支配者であるッ!!!」みたいなことを示すのがこの元号というシステムなんだけれど、こういうことを言うと「いや深読みしすぎッスよ笑」みたいな雰囲気にもなる。しかし、こういった意見に対して、「まあイイじゃないッスか笑」とか言って曖昧な感じで返答し続けることで、結果的に残り続けることになるのもれっきとした事実である。そして、そういったソフトランディングによってこそ元号というものが残り続け、それによって天皇はその地位を保全し続け、天帝であり続けられる。天皇というものに密接に紐付いた時空の中を国民が生き続けることになる。時代の記憶は天皇の治世の期間とそっくりそのまま重なり、天皇の代替わりによってそのまま日本という時空も次のフェイズへと進む。そういった時空観を内面化した軟着陸野郎どもにとっては、こういった意見は白眼視することによって応答する。私のようなマジレスマンたちが自分の恥ずかしさに気付いてないのと同様に、天皇時空観内面化野郎どももそういった人為的な時空に生きていることを疑いもしない。

そもそも、である。天皇というシステムが何故にあの敗戦のタイミングで潰えなかったかというと、当初はアメリカも廃止待ったなしという雰囲気も無くはなかったのだが、それ以上に共産主義の脅威が眼前に迫りつつあったという現実的な理由がある。近衛文麿とかはこっそり廃止はともかく退位ぐらいせえやという風な動き出しを見せてたりもしたのだが、気付いたら近衛文麿自体が東京裁判で殺されることになった。気付いたら、というかここは宮中勢力とアメリカの華麗なコンビプレーであるのだが。要するに、そういった謎の悪運の強さであったり、物事をうやむやに着陸させて何となく何もなかったかのような雰囲気にする能力、それこそが天皇という権力の唯一にして最大の武器である。それって言うほど立派か?狡猾なだけにしか思えないが。ちなみに、それが唯一の武器と言ったのは、実際に治世能力という武器が無いからでもある。それは制度上そうなっているからとも言えるが、それ以上に、そもそも何事も曖昧で何となく事なかれ主義の血族なので、「諸価値の権威的配分」であるところの近代的な政治システムに相性が悪い。彼らでは配分を決定できないのである。何となくうまくやっといてよぐらいのことしか考えられないし、考えたくないのである。そういう人々である。それぐらい本人達がソフトランディングしか能のない人々であるので、別に消されもしない。よっぽどの奴らは消されもしたが、そうやって消された諸先輩方の背中を見て、ソフトランディングだけしてる分には消されることもないことを学んでいるわけだ。そしてそのソフトランディング最強神話は国家ごとヤンキーにボコられたにも関わらず存続できたという経験によって更に強化されて今に至る。

言ったらあれだが、この人らのプライオリティはいつだって天皇制度の存続である。それは昭和天皇実録とか読んでてても、やばい天皇制がやばいみたいな話ばっかしてるところからも明白だし(これが何故問題として取り上げられないのかわからない)、平成天皇が「譲位しまっす!」と突然叫び始めたときには、当たり前に「で、次からはオレっちの世継ぎの時代になっから!」という雰囲気に持っていったのは流石であった。本当に国民のことを思うなら、「そもそも天皇っていうシステム自体が国民にとってどうなんです?」ぐらいのことを聞く機会があってもよかった。一番それをするべきだった昭和天皇が当たり前にそれをスルーしてそのまま病に伏した(とはいえ彼は先述のように天皇制の存続だけがプライオリティだったから、仮に百歳を超えて元気だったとしても口が裂けても言わなかっただろう)が、昭和天皇のような窮余の状態にならないために生前退位するという話なら、そういう話を投げかけるために必要な体力も時間も残されてはいたはずだ。だが、そういった話をすることよりも、オレっちの世継ぎへのバトンタッチをシクヨロ!という話を優先させた。というか、それらが天秤に並ぶことすらなかっただろう。何故かと言うと、繰り返しになるが、何となく、じんわりと物事を自分達の都合の良いように軟着陸させるのが唯一にして最大の武器だからだ。間違いなく、義を通すだとかいう発想は持ち得ていない。それだけを武器に勝ち残り続ける血族なのである。

だから、言ってみれば、えー改元!イイじゃん何となく!新時代っぽい!テン上げ〜↑↑といった風潮それ自体が、そもそも奴らの術中に見事にハマり尽くしていることの何よりもの証左でしかない。いいでしょ、別に実害ないんだし。そうやって無害さをアピールし、何も判断せず、ただ自分たちの存続をファースト・プライオリティーとする。

人間宣言」をしたにも関わらず、まるで天上からこの国家を見下ろすかのように、その時空に名を付け、天帝たり続けているのがあの一族である。「天は人の上に人を作らず」の主語は「天」である最たる所以である。主語であり続けるために、それ以外のことをしない。だが、人の上に人はもちろん、天も必要ない。ただ人がおり、生活をしている、それだけでいいはずだ。数値としての暦は必要かもしれないが、そこに名前も区切りも要らない。人が暮らす時空に勝手な名前をつけ、我が子とするのは勘弁して欲しい。この時空は人々のものであり、天のものではない。そういった本末転倒をあいまいなうちに遂行するのが、この天皇といった権力なのである。だからこそ、私はこの改元歓迎のムードをとてもじゃないが受け入れられないのだ。