令和国際大学

グローバルビジネス学科コミュニケーションデザイン学部

2019-05-23 Googleがウェブの未来を主導するのはあまり歓迎していない

どのページに行っても謎のパンくずリストがある。フッター近辺に行くといきなりサイト全体を開設するテキストが網掛けで挿入されている。どこで読んでも大差無いようなどうでもいい一般的な読み物を穴埋めのために大量に仕込んであり、そのコンテンツ内には数行毎にクソほどどうでもいい見出しがついている。

これらの施策は全て、Googleいわく「ユーザーファースト」であるとされており、これらが全ててんこ盛りの、異様にゴチャついた、まるでスーパーの特売セールチラシのような「優良な」WEBサイトが濫造されている。これらはすぐさま「ベストプラクティス」として拡散されるのみならず、その「ベストプラクティス」を導入するために数千万円単位のお金を費やす企業も少なくない。Googleが気にかけるWEBサイトのリーダビリティといえば、隠しリンクが無いか、実態のないキーワード検索用羅列等が無いか、といった程度でしかない。実際にそのサイトが「情報が整理されており」「読みやすく」「マルチデバイスで崩れることなく表示され」「必要なコンテンツをスムーズに見つけることが出来る」といった点に関しては一切の知見を持ち合わせていないように見受けられる。

それもそのはず、と思うところがある。Googleの作るサービスといえば、Google検索およびGoogle Mapは非常にスムースに体験を享受することができるが、それ以外のサービスに関しての操作感はハッキリ言って理解不能な水準だ。不要な混乱か、もしくはユーザーに高度な習熟を招くようなサービスばかりで、何ら直感的ではない。それが最も顕著だと思うのがAndroid OSだ。体験の根本的なクオリティもさることながら、ベンダーにカスタマイズを奨励することで体験全体のクオリティ・コントロールは実質的に破綻している。自然選択によって最もユーザビリティに長けたカスタマイズがシェアを得る、という目論見なのかもしれないが、残念ながら、歴史において自由競争によって理想状態が実現した例は驚くべきほどに少ない。

まあそれでも、Andoroidに関しては、最悪の場合は自分がAndroidユーザーにならなければ済むだけの話だ。最近のiOSに言いたいことが無いわけではないが、上述のような世界線に放り込まれるぐらいなら簡単に飲み込める程度の不平しか持っていない。問題は、先述の通りWEB全体をGoogleが実質的に主導しているという点だ。WEBは公共財であり、単なるOSの選択とはまるで違う話である。公共空間をデザインし、リードしていくような知見を彼らは持ち合わせていない。たった一つベンチを設置するだけでコミュニケーションが発生する、というように、公共空間とはレイアウトし、デザインされることによって最適化されるのだ。動線を作る。コミュニケーションが発生する仕組みを作る。阻害する要員を排除する。公共空間のデザインにおいてはやるべきことは非常に多い。その中で、彼らはひたすら「看板を増やせ」というようなことしか言わないし、それに従ったものに庇護を与える。GAFAの中でもっともオープンだと捉える向きもあるが、それは彼らがエントロピーのコントロールといった発想をてんで持ち合わせていないという意味でのみ真である。そんな彼らに、WEBという公共空間をリードしていけるとはとてもではないが思えないのである。